長距離走者のひとりごと

DCT−65190が鉄道趣味とマラソンと京都サンガ、そして日頃思った事を書き込んでいます。
(容量の関係で、アップ後1年前後を経過した日記の画像は削除している場合があります)
大阪臨港線廃線跡巡り

遅くなりましたが6月の終わりに大阪臨港線の廃線跡に行ってきました。
今回は簡単にですがそのレポートです。


まずは本題に入る前に大阪臨港線の概要と思い出話を。

(参考)大阪臨港線(ウィキペディア)

この貨物線は大阪環状線の弁天町−大正間にある境川信号場から分岐し、
全盛期は大阪港付近まで線路を延ばしていましたが合理化などにより縮小し、
最後まで残っていた境川信号場−浪速駅も2004年に休止、2006年に廃止されました。

大阪臨港線は大正区と港区を結ぶなみはや大橋から一望できることもあって、
ランのついでにちょくちょく浪速駅に立ち寄って構内を眺めていました。
もっともその頃は休止間近の頃で貨物列車はたまにしか来ず、
廃車になり解体を待つ貨車が寄せ集められていたに過ぎませんでした。
活気があった時といえば数少ない貨物列車が来た時や貨車の入れ換え、
ホイッスルを鳴らしながら動くディーゼル機関車、そしてバーナーで貨車を解体していた時くらい。
その頃は美祢線で使われていた石灰石輸送の貨車を中心に集められて解体を待っていました。
それと最末期に運転された、吹田機関区と浪速駅をDD51単機で往復した「錆取り列車」。
夕方に単機で浪速駅に姿を現し、貨車を連結することもなく吹田に戻るという寂しい光景でした。

構内で働く姿や貨物線を走行する貨物列車はその時に目に焼きつけていますが、
その頃にコンパクトデジカメを持っていたら、ランついでに通いつめていただろうなあ・・・。
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以前にも取り上げましたがかつての浪速貨物駅。
今は佐川航空の営業所に転用されています。
ちなみに貨物業務はJR貨物系列の関西フレートサービスが受諾していました。
(平成12年に浪速営業所から浪速派出所に変更、後に廃止)



浪速駅近くの三十間堀川に架かる鉄橋。
大阪臨港線の設備は大部分が撤去されましたが、この鉄橋だけは残されていました。
また防潮扉も現存していました。



三十間堀川を過ぎたあたりは線路は取り外され、一部は会社の敷地に転用されていました。
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北へ進むと鉄橋の土台が残っていましたが、
土台の位置があまりにも低すぎのが気になりました。



北側には線路が残っていました。





線路は北に向けて延びていました。
貨物線自体は単線でしたが複線の用地が確保されていました。
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国道43号線の手前で線路は撤去され、道路の北側は駐車場に転用されていました。



「無線切替」の標識が残る、商店街近くの線路跡。
大阪環状線と京セラドーム大阪までもうすぐ。
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大阪臨港線は廃止後もしばらくは線路などはそのままでしたが、
ここ最近になって再開発が進み、現存する設備もほんのわずか。
もう少し早く訪れたら廃止した当時の姿を見ることができたかな?と
少しだけ後悔しています。

しかし住宅地の真ん中に残されている廃線跡、転用が難しいだろうなあ・・・。


(追記)
後日天保山までランをしたところ、
ここには残ってない・・・と思っていた所に廃線跡が残っていたり、
私有地だから調べなかったけど実は私有地ではなかった、という所を発見したので、
後日なみはや大橋付近や大阪築港付近に残っている廃線跡を調べたいと思います。
| DCT−65190 | - | 22:29 | comments(2) | - |
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