長距離走者のひとりごと

DCT−65190が鉄道趣味とマラソンと京都サンガ、そして日頃思った事を書き込んでいます。
(容量の関係で、アップ後1年前後を経過した日記の画像は削除している場合があります)
広島県内&島根県内鉄道路線完全制覇(後編)
遅くなりましたが、前回の続きを。
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三次1700(432D)1832浜原(キハ120 307)
次に乗車するのは、未乗線として残っている三次−浜原を走る浜原行普通。
三江線全線開通前までは「三江南線」と呼ばれていた区間。
この列車に乗って宇津井到着時点で広島県内、終点の浜原到着時点で島根県内の鉄道路線を完全制覇。

列車は既に3番線に入線していたのを確認してから改札を通ったのですが、
駅員さんが言うには、大雨だったら徐行するかもしれないのでその場合は浜原到着が遅れるとのこと。
確かに真っ黒な雲が空を覆い、小雨が降り始めていました。

16時30分頃に乗車しましたが、徐々に雨足が強くなり、やがて雷が落ち、ひょうも落ちてきました。
強い雨足が車体や窓ガラスに叩きつけて、車内アナウンスも聞き取りにくい状態。
発車できるんだろうか?

しばらくすると徐行通告の為にずぶ濡れになりながら駅員が乗り込んできました。
乗り込んだ時は広島弁で雑談を交えた会話をしていましたが、
通告の時にはお互い直立不動、そして標準語でやりとりをしていました。
ちなみに通告内容は「大雨の為、三次−口羽は30km/h以下の徐行運転」

雨で遅れていた福塩線からの列車の接続を行った関係で6分遅れの17時6分、
豪雨と雷鳴の中を発車。
高校生を中心に20人以上の乗車がありました。

発車してしばらくすると鉄橋に差し掛かりましたが、予想通り?15km/hまで速度を落とし、
ゆっくりゆっくりと渡りました。

次の尾関山を過ぎたあたりで雷は鳴り止み雨は小降りになりましたが、通告を受けている関係上、
「30km/h以下の徐行運転 鉄橋など一部区間では15km/h以下の徐行運転」
でのんびりと走行。
普段のんびりしている私でもこの走りにはさすがにストレスがたまりました。

列車は雨の江の川沿いをマイペースで走り、利用客も徐行運転には慣れているのか、
車内はまったりとした雰囲気。
そして学生も近距離利用は少ないようで、島根県に入ったあたりで下車する姿が目立ちました。
あまりの鈍足にストレスがたまっていた私も
「徐行運転は滅多に経験できないから、この走りと雰囲気を楽しむか」
と開き直って車内でくつろぐことにしました。

定刻から遅れること約20分、18時15分に口羽に到着。
ここで10人以上残っていた乗客のほとんどが降り、乗客は私と女性2人連れ、おじいさんだけに。

乗客を降ろすとすぐに口羽を発車。
雨も止み、晴れ間がのぞくようになりました。
ここから先は通常速度の運転で、しかも口羽−浜原は1975年に開業した高規格路線。
枕木は木製からコンクリートに変わり、線形も直線や緩やかなカーブ、長大トンネルが目立ち、
走りもそれまでの鈍足から一転して80km/h以上の高速走行。

広島県内最後の駅になる伊賀和志を発車し、長大トンネルを抜けて江の川を渡って島根県へ。
そして宇津井に到着した時点で広島県内の鉄道路線を乗りつぶしたことになりました。

次の石見都賀でおじいさんが降り、車内は3人に。
その後沢谷で若い男性が1人乗車。

列車は制限速度ギリギリで走行したものの結局は口羽での遅れを縮めることはできず、
約20分遅れの18時52分に浜原に到着。
そして島根県内の鉄道路線の乗りつぶしも達成。
ホームには高校生5人が列車の到着を待ち、反対側のホームには江津行が待機していました。
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浜原1900(434D)2109江津(キハ120 357)
私を含めた4人がそのまま江津行に乗車。
19時の発車までの数分間で駅や車両を撮影しましたが、
20年前に訪れた時は有人駅で、駅周辺の商店もそれなりに活気がありましたが、
駅は無人駅になり、駅周辺も一日を終えたかのように人影はなく閑散としていました。

定刻に浜原を発車。
ここから江津まではかつて「三江北線」と呼ばれていた区間。
速度制限の通告は受けていませんでしたが所々に徐行区間があるのか
30km/h前後のスピードでゆっくりと走行。

19時37分に石見川本に到着し、若い男性が下車。
ここでは列車の行き違いの関係で27分停車。
この町も一日を終えたのか駅周辺には活気がなく、闇に包まれていました。

発車5分前になると地元の男子高校生が20人ほど乗車。
いい意味でも悪い意味でも賑やかになりました。

20時4分に石見川本を発車。
車内は騒々しかったにも関わらず疲れていたのか、ボックスシートに足を伸ばして寝ていました。

目が覚めると列車は江津本町を発車したところで、車内は私と女性2人連れの3人だけ。
急いで降りる準備を整えました。
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江津2112(338D)2244出雲市(キハ47系2連 姫新色+国鉄色)
出雲市2248(150D)2327松江(キハ47系2連 国鉄色)

3分の接続で出雲市行普通に乗車。
人の流れとは逆方向のせいか、車内は15人ほどでした。

三次で購入したビールを飲みながらボックスシートに足を伸ばしてくつろぎましたが、
高速化工事を施した上に車両もエンジンを換装し車内をリニューアルした更新車。
エンジン音は静かで加減速の衝撃もあまりなく、芸備線や三江線よりも快適でした。

西出雲手前で闇夜に明かりが輝く後藤総合車両所出雲支所を眺め、定刻に出雲市に到着。
そして米子行の普通列車に乗り換え。
先ほどの列車と違い、仕事帰りのサラリーマンが目立ちました。

左手に夜の宍道湖を眺めながら過ごし、23時27分に松江に到着。
ここで下車しましたが最終列車ということもあって多くのサラリーマンや若者が到着を待っていました。
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JR松江駅2345(出雲エクスプレス京都8号)530京都駅烏丸口
帰りは夜行バス。
3列独立シートで、しかも私の座席の後ろは化粧室だったのでリクライニングシート倒し放題でしたが、
所詮は完全に横になれない夜行バス。
寝返りが打てないこともあって、バスの中で完全にやられました。
京都で下車した時に身体がだるく、節々が痛く感じました。
やっぱり相性が悪いなあ・・・。
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バスから降りた後、歩いて「本家第一旭 たかばし本店」へ。
5時30分過ぎに来店しましたが、すでに5人ほどがラーメンを食べていました。

カウンターの前に座り大盛に相当する「特製ラーメン」、そして肉多めを注文。
「早朝に、しかも夜行バスから降りた直後に平らげられるかなあ・・・」と思いましたが、
美味しくいただくことができました。

ラーメンに関しては感想を言えるほどの舌は持っていませんが、あえて言うなら、
「肉多めとはいえ、丼の中にたくさん沈んでる!」
「スープは見た目はあっさりだけど、空きっ腹とはいえ飲み干したらお腹がもたれた(美味しかったけど)」
「ねぎともやしも美味しかった」
と思いました。
また行きたくなりました^^

でも・・・早朝からラーメンやチャーシューを食べながらビールを飲んでるおっちゃんには引いたぞ(苦笑


その後市バスで四条河原町まで乗車し、朝の鴨川沿いを延々と歩いて出町柳駅へ。
予定では
「『コンフォートサルーン』な快速急行」か「『エレガントサルーン』な特急」
で帰阪するつもりでしたが、やってくるのは9000系などのロング車ばかり。
結局は9000系特急で自宅へ戻りました。
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さ、27日は富山アウェイ遠征だ。
| DCT−65190 | - | 22:53 | comments(2) | - |
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